「売春宿に戻ってしまったそうです」? (1)
彼女たちは家族を養うために売られ、強制的に客を取らされていました。客を取らないと電気ショックを与えられていたため、NGOに保護された当時は腕に沢山傷があったそうです。しかし、彼らが働かなければ家族が生活していけないので、NGOから逃げ出し、売春宿に戻ってしまったそうです。働かされていた時のことを思い出して夜中に泣き叫んでいた彼らなのに、また売春宿に戻ってしまったことを聞き、愕然としました。
http://www.kamonohashi-project.net/about/pdf/annual_report_2004.pdf
おい。
(略)
「彼らは元気にしてる?」
と私が聞くと
「実は、彼らはセンターから逃げ出したんだ」
と衝撃的な事実が伝えられました。
センターを逃げ出して、果たして小さなあの二人はどこへ行ったのでしょうか。
他のNGOのセンターでも良く聞くのですが、ベトナム人の女の子は、自分が働かないと家族が暮らせないので、保護センターから抜け出し、売春宿に戻ってしまうことがよくあるそうです。
彼らも売春宿に戻ってしまったのでしょうか。
それとも、自分の家に戻ろうとしているのでしょうか。
あの小さな二人がどうしているか、考えるととても胸が痛みました。
http://www.kamonohashi-project.net/news/japan/20041106_66.php
これも作り話かい?
どこまでが事実で、どこからが書籍から借りてきたはなしなのかが判然としない。
講演会で語られる「学校へ行って、勉強してみたかった」と言い残してAIDSで死ぬ女性のエピソード。
これも『こどもの権利を買わないで ― プンとミーチャのものがたり』(自由国民社)に登場する「一度でいいから学校というところに行って、勉強ということをしてみたかったな」というセリフに酷似しているのだ。
[追記]
「ベトナムからカンボジアにトラフィッキング(人身売買)されて来た、6歳と12歳の姉妹」に出会ったのは2003年5月とされているが、かなり疑わしい。
(略)
その後訪れた買春の被害にあった子ども達のためのセンターでは、 6 ヶ月前に売春宿から保護された 6 歳と 12 歳の姉妹に出会いました。 6 歳で売春ですよ!
http://www.dreamroad.biz/person/0007/index.html
孤児院に滞在したのが2003年5月。予定を変更して帰国直前まで留まっていたのだから、「その後訪れ」る機会などない。
こうして読み返してみると、村田早耶香 理事長らは「シェルター」について十分な知識もなく事業計画を立てていたことがわかる。
例えば"AFESIP"のシェルターの保護期間は基本的に1年だったはずだ。その後、2年間のフォローアップがなされることになっている。1年以上経ってから、しかもベトナム国籍の少女がそこにいる、という前提でいるのが、まずおかしい。カンボジアに置いておけば義務教育も受けさせられないではないか。
また、引き取り手がない、親族に引き渡せば危険がある、といった事情で長期間在籍するケースもあるが、「シェルター」は〈一時避難施設〉であり、そこで5年にも渡る職業訓練を行なうというプランには、もともとかなり無理があったのだ。