死ぬまでウソを吐き通すつもりかい? 村田早耶香さん (2)
3人が出会うまでひとりで活動していた、これもウソだ。
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この「国際協力のNGO」がどの団体かはわからない。
初めてカンボジアに行ったのは2003年3月10日の第1回「東京都学生起業家選手権」と同年5月末の「STYLE2003」のあいだである。
2001年12月の「世界会議」で「カンボジアで見た状況」をはなせるわけがない。
この講演録にも「6歳と12歳の姉妹」は明示的に登場しない。
2003年の4月から5月にかけて、3人の理事はそれぞれカンボジアに滞在している。「シェルター」への訪問は行なわれ、そこで多くの少女を目にしたことをはあっただろう。
しかし「6歳と12歳の姉妹」との交流はウソなのかもしれない、と思う。
たとえ「2003年5月」のプレゼンで「6歳と10歳の女の子」が登場しても。
最初のカンボジア訪問の最大の思い出は、この「児童保護施設」なのだ。
ところで、村田理事長の初海外は2001年のタイだと思い込んでいたのだが、どうも違うようだ。
この「昔」もいつなのかわからない。
「悩む前に行動すべき」の意図が〈あきらめるなら早いうちに〉とは脱力する。
「骨を埋める」つもりだったはずの村田理事長も、2004年6月、事務所開設のために渡航してすごすうちに、「住みたくな」くなって逃げ帰ってきたのかもしれない。
周りがお膳立てしてくれるスタディツアーとはわけがちがうのだ。
[追記]
やはりウソなのだろうか。
質疑応答の最後に持ち出したクロマーのような織物。
保護されていきなり職業訓練に入るわけでもないだろうし、習熟には時間もかかる。
作ったのは施設にいる子であっても、「6歳の女の子」ではない。
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こういう状況の中で、今自分に何ができるのかを考え、最初は国際協力のNGO活動に参加しようと思いました。NGOでは、講座などを開いて知識の普及を図っていますが、こういった催し物に参加する人は、毎回同じような顔ぶれです。国際協力関係の人、福祉関係の人、学生などです。これでは、世の中変わらない、どうすればいいのかを模索する日々が続きました。
2002 年6月頃までNGOでの活動を続けていましたが、その頃に転機が訪れます。現在一緒に活動している仲間と出会えたのです。
http://www.chinoichiba.net/2005kouzapdf/kamonohasipurojekuto.pdf
2002 年6月頃までNGOでの活動を続けていましたが、その頃に転機が訪れます。現在一緒に活動している仲間と出会えたのです。
http://www.chinoichiba.net/2005kouzapdf/kamonohasipurojekuto.pdf
この「国際協力のNGO」がどの団体かはわからない。
このような被害に遭った子どもを目の当たりにして、何かをしなければと強く思いました。そして帰国して、すぐに活動をしようと決意しました。最初は学ぶこと、知識を得ることから始めました。図書館へ行って児童買春に関する本をごっそりと借りてきて読みました。新しく出版された本は書店で購入したり、お金が足りない時には立ち読みもしました。さらにNGOが開催する勉強会にも参加して情報を集めました。2001 年の8月から9月にかけての頃です。
その年の12 月に、第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議が開かれることを知ります。
その会議には世界中から約100 名の子ども・若者を主体的に参加させることが決まっていまして、日本からも33 人の代表を送ることになっていました。私もカンボジアで見た状況をお話したいと考え、代表に立候補、参加できることになりました。そして、会議までの準備として、何か具体的な活動をしようと考え、自分の通う大学で“授業ジャック”を始めました。
その年の12 月に、第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議が開かれることを知ります。
その会議には世界中から約100 名の子ども・若者を主体的に参加させることが決まっていまして、日本からも33 人の代表を送ることになっていました。私もカンボジアで見た状況をお話したいと考え、代表に立候補、参加できることになりました。そして、会議までの準備として、何か具体的な活動をしようと考え、自分の通う大学で“授業ジャック”を始めました。
初めてカンボジアに行ったのは2003年3月10日の第1回「東京都学生起業家選手権」と同年5月末の「STYLE2003」のあいだである。
2001年12月の「世界会議」で「カンボジアで見た状況」をはなせるわけがない。
この講演録にも「6歳と12歳の姉妹」は明示的に登場しない。
私が初めてカンボジアを訪れたのは大学の3年生の時です。カンボジアの人々はとてもフレンドリーで、結婚式の集まりに出会えば、知らない私を気軽に招待してくれたりするのですが、その傍らでは子どもがゴミを拾っていたり、ゴミ山に行けば、小さな子どもが資源ゴミを拾って生活しているという現実がありました。そして長く滞在しているうちに、さらにカンボジアの闇の部分が見えるようになりました。売春宿に行けば、まだ5歳、6歳といった年齢の子どもまでいます。なぜそのような低年齢の子どもが売春宿に来るようになったのか、少女を保護しているセンターを訪ねて行くと、所長が、さまざまな話をしてくれました。客をとるをことを嫌がったために電気ショックを与えられたり、売春宿の生活の果てにHIV(エイズウィルス)に感染して短い命を終える子どもたち‥。
2003年の4月から5月にかけて、3人の理事はそれぞれカンボジアに滞在している。「シェルター」への訪問は行なわれ、そこで多くの少女を目にしたことをはあっただろう。
しかし「6歳と12歳の姉妹」との交流はウソなのかもしれない、と思う。
たとえ「2003年5月」のプレゼンで「6歳と10歳の女の子」が登場しても。
カンボジア滞在中、NGOが運営する児童保護施設で
彼女は3日間の共同生活を体験した。
(略)
施設を離れる日。センター長が車で送ってくれた。
その車内で彼女は思いもよらない事実を知る。
施設での生活中、
彼女と特に中の良かった12歳の少年と13歳の少女。
12歳少年は小さい時から農夫として仕事をしていた為、
小学校に行けなかった。
だから今施設で学んでいる。
13歳の少女は農村でお寺に母親と住んでいたが、
貧しさから学校へも行けなかった。
今は施設で預かり学校へ通えているものの
お母さんの行方は分らない。
もう一生母親に会えないかもしれない。
笑顔の裏にあった哀しい事実。
自分は何も気がつかなかった。
次の訪問先にいったものの、
そこでの説明は何も耳に入らなかった。
「もう一度あの子ども達に会いたい」。
彼女はもう一度、児童保護施設を訪れた。
(略)
カンボジアに滞在する残りの一週間を
彼女はその施設で過ごした。
(略)
日本に帰る飛行機の窓からカンボジアの大地を眺めた。
浮かぶのは子ども達の笑顔。
「ここでだったら良いかもな。子どもと一緒にいたいなぁ」。
初めて自分の事業の意味・必要性に実感が持てた気がした
http://www.melma.com/backnumber_15681_278461/
彼女は3日間の共同生活を体験した。
(略)
施設を離れる日。センター長が車で送ってくれた。
その車内で彼女は思いもよらない事実を知る。
施設での生活中、
彼女と特に中の良かった12歳の少年と13歳の少女。
12歳少年は小さい時から農夫として仕事をしていた為、
小学校に行けなかった。
だから今施設で学んでいる。
13歳の少女は農村でお寺に母親と住んでいたが、
貧しさから学校へも行けなかった。
今は施設で預かり学校へ通えているものの
お母さんの行方は分らない。
もう一生母親に会えないかもしれない。
笑顔の裏にあった哀しい事実。
自分は何も気がつかなかった。
次の訪問先にいったものの、
そこでの説明は何も耳に入らなかった。
「もう一度あの子ども達に会いたい」。
彼女はもう一度、児童保護施設を訪れた。
(略)
カンボジアに滞在する残りの一週間を
彼女はその施設で過ごした。
(略)
日本に帰る飛行機の窓からカンボジアの大地を眺めた。
浮かぶのは子ども達の笑顔。
「ここでだったら良いかもな。子どもと一緒にいたいなぁ」。
初めて自分の事業の意味・必要性に実感が持てた気がした
http://www.melma.com/backnumber_15681_278461/
最初のカンボジア訪問の最大の思い出は、この「児童保護施設」なのだ。
ところで、村田理事長の初海外は2001年のタイだと思い込んでいたのだが、どうも違うようだ。
おそらく、センメンチャイに住む子ども達は、自分の写真を撮るということがないんだと思います。昔ネパールで子ども達の写真を撮った時もそうでしたが、デジカメの写真をすごく喜んでいました。それは、彼らは、生涯に写真をとることなんて、なんかのチャンスがなければ、ありえないことだからなんだと思います。
http://web.archive.org/web/20040804002438/www.kamonohashi-project.net/kamonohashi/diary001.html
http://web.archive.org/web/20040804002438/www.kamonohashi-project.net/kamonohashi/diary001.html
この「昔」もいつなのかわからない。
私は頭で悩む前に行動すべきだと思います。
例えば、ネパールの支援がしたい人がいたら、行ってみないとその国に命かけられるかなんてわからない。行ってみると結構寒いから絶対住みたくないとか、人によってはそう思うかもしれない。
http://youthacty2.blog57.fc2.com/blog-entry-4.html
例えば、ネパールの支援がしたい人がいたら、行ってみないとその国に命かけられるかなんてわからない。行ってみると結構寒いから絶対住みたくないとか、人によってはそう思うかもしれない。
http://youthacty2.blog57.fc2.com/blog-entry-4.html
「悩む前に行動すべき」の意図が〈あきらめるなら早いうちに〉とは脱力する。
「骨を埋める」つもりだったはずの村田理事長も、2004年6月、事務所開設のために渡航してすごすうちに、「住みたくな」くなって逃げ帰ってきたのかもしれない。
周りがお膳立てしてくれるスタディツアーとはわけがちがうのだ。
[追記]
やはりウソなのだろうか。
こんな小さな子が、数ヶ月前まで売春宿にいたのかと思うと、なんともいえない気持ちになりました。
質疑応答の最後に持ち出したクロマーのような織物。
保護されていきなり職業訓練に入るわけでもないだろうし、習熟には時間もかかる。
作ったのは施設にいる子であっても、「6歳の女の子」ではない。
by grilled_duckmole | 2009-03-17 18:34

