"You can change the world" ? (12) :「神話」
一橋では社会学を専攻していました。以来13年ぶりのレヴィ=ストロース。彼もユングも河合隼雄も、神話を持ち出すのは晩年になってからでした。(略)烈は大丈夫か、と思われている方もいるかもしれませんが・・。
http://retz.seesaa.net/article/70005382.html
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大丈夫ならいいのだが。
客観と主観。科学と哲学。伝統と近代。分けて考えることに慣れきったのが我々世代。
http://retz.seesaa.net/article/66628966.html
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日本の政治で言えば、伝統人を代表する自民党と、近代人を代表する民主党の争いがありました。しかし小泉元首相・竹中元総務相を代表として、自民党が近代化。
(略)
ビジネスにおいても、近代人と文化創造人の拮抗はありますが、これは改めて。
http://retz.seesaa.net/article/64280524.html
(略)
ビジネスにおいても、近代人と文化創造人の拮抗はありますが、これは改めて。
http://retz.seesaa.net/article/64280524.html
〈現代〉を指して「近代」を使う場合もあるとはいえ、妙な時代区分のしかたである。
三冊とも早速購入しました! ケン・ウィルバーが今日気になって調べていましたから、シンクロです。
http://retz.seesaa.net/article/75070982.html
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あたかも「モーニング娘。」に見切りをつけたファン同士が「AKB48はいいよね」と言い合っているようなもので、こんな例を「シンクロ」と呼ぶならば、「共時性」「シンクロニシティ」について語る他の文章が説得力を失うだけだろう。
内村がほかに取り上げた上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮上人も、同様に自我をトランスし、結果として時代を超えて精神は生き続けることになった。
http://retz.seesaa.net/article/75847540.html
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二宮金治郎が今でも有名なのは「トランス」云々ではなく、「修身」の教科書や「唱歌」の題材に取り上げられたからではないのか?
中田に至ってはサッカーを引退した一人の旅人に過ぎない。
http://retz.seesaa.net/article/76459367.html
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中田姐さんをこそ「旅人」と呼ぶなら、〈川口浩探検隊〉は真の探検家である。
私が言いたいのは、「A.見える世界を神話的にみよう」ということ。「B.見えない世界を科学的にみる」のではない、ということだ。
(略)法則ではなく、姿勢なのだ。
科学思考と神話思考。二つの姿勢の違いを理解しながら、日々の生活を送ることが、次の時代に求められると考えている。
http://retz.seesaa.net/article/73835118.html
(略)法則ではなく、姿勢なのだ。
科学思考と神話思考。二つの姿勢の違いを理解しながら、日々の生活を送ることが、次の時代に求められると考えている。
http://retz.seesaa.net/article/73835118.html
などとは言うものの、
科学と神話の融合は、この数年で劇的に進んでいくでしょう。その時に、神話思考をもったリーダーが求められていきます。
http://retz.seesaa.net/article/70005382.html
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「違う」とされたものが「融合」してしまう。
そして、なぜ「数年」で「進んでいく」のか、
では、これからの神話である「主義」とは何か。資本主義、民主主義、科学万能主義に変わる主義とは何か。誤ると大変な問題を引き起こすわけですが、そろそろと何か生まれる時期なのだと感じています。
http://retz.seesaa.net/article/69546519.html
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どうして「これからの」「そろそろ」なのか、無前提に、あたかも自明のこととして放り出されている。
ここにあるのは、実は〈思考停止〉なのではないのだろうか?
ここでいう考えるとは、論理的思考(つじつま合わせ)とは違う。
(略)ここには経験はなく、納得しやすい論理(つじつま、あるいはロジック)しかない。
http://retz.seesaa.net/article/74736830.html
(略)ここには経験はなく、納得しやすい論理(つじつま、あるいはロジック)しかない。
http://retz.seesaa.net/article/74736830.html
説明のつかない出来事は幾らでも起きる。それを証明するのではなく、その意味を考え、縁を大切に思えるかが、問われるのではないか。
http://retz.seesaa.net/article/72825235.html
http://retz.seesaa.net/article/72825235.html
「論理」も「証明」も、なぜそれを軽んじてよいのかが説明されることなしに、最初から忌避されている。
「数年後」の到来を期待する「『神話思考』の時代」を補強するためだけに、多量の書物が消費されているようにしか感じない。
by grilled_duckmole
| 2007-12-29 14:40