「人間学」? (2)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AD%A6
「致知出版社」による定義では、
人間の徳性を養っていく学問のことです。
人が人に成るための学びには2つがあります。
1つは時代に即した知識や技能を得る「時務学」
もう1つが「人間学」です。
http://www.chichi.co.jp/human.html
とされ、"Wikipedia"の解説とはすんなりとはつながらない。
わかりやすくいえば、"Wikipedia"のいう「人間学」関連書と「致知出版社」の書籍とは、書店では別の棚にある。
「致知出版社」は「地産グループ」の竹井博友総帥(故人)によって設立された。
社名変更前の「竹井出版」からは、『人間学対談』(1982年)、『三国志の人間学—脳力開発実践講座』(1984年)など、「人間学」を書名に含む書籍が複数出版されている。
「致知出版社」の名を一般にも知らしめたのは『何のために生きるのか』(五木寛之・稲盛和夫)である。続く『何のために働くのか』の著者は、1つ前のエントリで紹介した、「人間学」を「人間力を磨くことを主眼とした」ものであるとした北尾吉孝SBIホールディングス株式会社代表取締役である。
「人間学」(および「時務学」)は安岡正篤の弟子が提唱したという説もあるが、真偽は確認できない。
"Wikipedia"日本版には「人間力」の解説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8A%9B
「人間力」ということばは、どうやら「人間学」よりもずっと以降に登場し、「人間学」が〈学ぶべきもの〉とする対象を包括する呼称として命名されたようだ。
「かものはしプロジェクト」の村田早耶香理事長が受賞した「人間力大賞」は、1987年から始まった「TOYP大賞」が2001年に改称したものである。
ちなみに赤瀬川原平『老人力』の初版は1998年に発行されている。
"Wikipedia"らしい、なんとも頼りない解説であったが、「「人間力」という言葉を使った人々」として原辰徳「読売ジャイアンツ」監督の名前が挙げられているのが面白い。
原辰徳監督は「自己啓発セミナー」経験者であると雑誌で話題にされたことがあった。
そのセミナーは小林充「国際心理開発協会」会長が主宰するもので、
ユニ・チャーム(株) 高原慶一朗会長
装道きもの学院 山中典士理事長
柔道 山下泰裕氏
プロゴルファー 岡本綾子氏
読売巨人軍 原辰徳監督
元読売巨人軍 桑田真澄投手、中畑清氏
元オリックス 藤井選手...他。
http://imds-4u.com/company/
「国際心理開発協会」(「株式会社エデンインターナショナル 」)のサイトでも受講者であったことが確認できる。
小林充会長は「日本ソマチット学会」の理事でもある。「ソマチット」って何?
http://www.somatid.net/yakuin.html
原監督らに混じって紹介されている山下泰裕・全日本柔道連盟理事もまた「人間力」を好んで使う。「致知出版社」の月刊『致知』には2度ほど登場し、
『致知』には各界のリーダーの生き方が紹介されています。深い人生体験を積まれた方々の勇気と力を与えてくれる言葉に満ちています。『致知』は、前向きに挑戦して行く人間にぴったりです。これこそ私が求めていたものです。
http://www.chichi.co.jp/leader3.html
サイトにも推薦メッセージを寄せている。
山下泰裕理事は「ネットワーク地球村」の理事でもある。
http://www.chikyumura.org/about/conversation/2006/01/01114631.html
公式サイトの「師と仲間たち」のコーナーには船井幸雄「船井総合研究所」最高顧問の名前も見える。
http://www.yamashitayasuhiro.com/moscow/index.html
3年ほど前、角川書店から『武士道とともに生きる』という書籍が出版された。
[ 著者 ]
山下泰裕 奥田碩
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200408000181
この両者、ほんとうに「異色」の組み合わせなのだろうか?
奥田碩・経団連名誉会長は「若者の人間力を高めるための国民会議」の議長を務めていたが(現在は御手洗冨士夫・経団連会長が就任)、同「国民会議」などが主催したイベントの(新聞記事からの)感想を、あるブログから引用する。
http://d.hatena.ne.jp/shintak/20051026/p1
あるいは。
「若者の人間力を高めない非国民運動」というものがある。この「運動」を調べていくと、まるでメビウスの輪の上の歩かされているかのようにシームレスに「高める」側の面々へとつながってしまうのは、いったいどういうことなのだろう?