「生きる力」? (1)
あの内戦とそれに続く混乱の時代に生まれ育ち、あるいは生き抜いてきたカンボジア人に対して、日本人がその「生きる力」をうんぬんする、というのも奇妙なはなしである。
「自分が作った商品が売れる」ことで「生きる力」が身につくとするなら、運営がとまってしまった最初の「ファクトリー」の「ワーカー」はどうすればいいのだろう。
売れる売れない以前に、作ることもできないのだから。
「字を書けるようになる」? チクラエンの「ファクトリー」では「識字教育」も中断してしまったのだろう。
「かものはしプロジェクト」はよく、「持続的で拡大的な事業」という。
「持続」「拡大」を目指しているのは受益者への支援ではないのだろう。「組織」や「事業」について、である。
動きが止まって困るのは「事業」でしかないのだ。
「こどもたちが学校に行けるようになる」というのが「コミュニティーファクトリー」の売りであった。
実際に「ファクトリー」の給料で学校に行けるようになったこどもがいたのだとしたら、そのこどもはこれからどうなるのだろう?
一時は「学校を建てる」ともいっていたようであるが、どこまで本気だったのかはわからない。「報告書」の概念図からは「学校」の文字すら消えてしまったのだから。
新たな「ファクトリー」の訓練生は「貧しさと向上心の二つの視点から」(「年次報告書」P.8)選ばれたのだという。
まったく都合のいい考え方である。
「児童買春」にしろ「人身売買」にしろ、被害者はその家庭に問題を抱え、自棄になっていたケースが目立つ。
「向上心」などという基準を持ち込めば、〈生きる力〉を失ったこどもたちを救うことからは遠ざかってしまう。
技術を学ぶだけではなく、
「生きる力」を女性たちは学んでいます
職業訓練と仕事を提供していく中で、ファクトリーで働く女性たち(ワーカー)は技術と現金収入以上のものを得て成長しています。
村の女性のほとんどは、自信がありません。自分が何かを達成できるという可能性を信じられないのです。自分が作った商品が売れる、字を書けるようになる、村のほかの女性たちと共同で作業する、ということを通じて、「生きる力」を学んでいます。少しずつ芽生えた自信から可能性が広がり、人間的な成長にもつながっています。
http://www.kamonohashi-project.net/about/download/annual_report_2007.pdf
「生きる力」を女性たちは学んでいます
職業訓練と仕事を提供していく中で、ファクトリーで働く女性たち(ワーカー)は技術と現金収入以上のものを得て成長しています。
村の女性のほとんどは、自信がありません。自分が何かを達成できるという可能性を信じられないのです。自分が作った商品が売れる、字を書けるようになる、村のほかの女性たちと共同で作業する、ということを通じて、「生きる力」を学んでいます。少しずつ芽生えた自信から可能性が広がり、人間的な成長にもつながっています。
http://www.kamonohashi-project.net/about/download/annual_report_2007.pdf
コミュニティファクトリーでは事業が着々と進んでいます。
ようやく職業訓練が始まり訓練生たちの興奮しながらも
一つずつ技術を習得し、「生きる力」を育もうとしています。
しっかりとファクトリーの運営を軌道にのせ、彼女たちの自立を支えていきます。
http://www.kamonohashi-project.net/wallpaper/
ようやく職業訓練が始まり訓練生たちの興奮しながらも
一つずつ技術を習得し、「生きる力」を育もうとしています。
しっかりとファクトリーの運営を軌道にのせ、彼女たちの自立を支えていきます。
http://www.kamonohashi-project.net/wallpaper/
「自分が作った商品が売れる」ことで「生きる力」が身につくとするなら、運営がとまってしまった最初の「ファクトリー」の「ワーカー」はどうすればいいのだろう。
売れる売れない以前に、作ることもできないのだから。
「字を書けるようになる」? チクラエンの「ファクトリー」では「識字教育」も中断してしまったのだろう。
「かものはしプロジェクト」はよく、「持続的で拡大的な事業」という。
「持続」「拡大」を目指しているのは受益者への支援ではないのだろう。「組織」や「事業」について、である。
動きが止まって困るのは「事業」でしかないのだ。
「こどもたちが学校に行けるようになる」というのが「コミュニティーファクトリー」の売りであった。
実際に「ファクトリー」の給料で学校に行けるようになったこどもがいたのだとしたら、そのこどもはこれからどうなるのだろう?
一時は「学校を建てる」ともいっていたようであるが、どこまで本気だったのかはわからない。「報告書」の概念図からは「学校」の文字すら消えてしまったのだから。
新たな「ファクトリー」の訓練生は「貧しさと向上心の二つの視点から」(「年次報告書」P.8)選ばれたのだという。
まったく都合のいい考え方である。
「児童買春」にしろ「人身売買」にしろ、被害者はその家庭に問題を抱え、自棄になっていたケースが目立つ。
「向上心」などという基準を持ち込めば、〈生きる力〉を失ったこどもたちを救うことからは遠ざかってしまう。
by grilled_duckmole
| 2008-07-17 16:46