「カンボジアの農村に、一人の少女がいた」? (3)
騙されて農村から売春宿に売られたケース
カンボジアの農村に、一人の少女がいました。父親は早くになくなり、一家はとても貧しい状態でした。 ある日村に「プノンペンでメイドの働き手を捜している」という男が現れました。母親に頼まれた彼女は、男についてプノンペンの町に行くことにしました。 16歳のときでした。彼女の母親は、男から50ドルを受け取りました。 プノンペンについた彼女は、自分が騙された事に気づきました。彼女は50ドルで売春宿に売られてしまったのです。部屋には窓もなく、外から鍵をかけて閉じ込められました。泣いて抵抗すると、見張りの男に殴られるのでした。 ある日彼女はたまらなくなり、夜の闇にまぎれて売られた友達と一緒に部屋を逃げ出しました。 まだ朝日も昇る前、薄暗い道をあてもなく、ひたすらに少女たちは走り続けました。 そして警察に辿りついた彼女は事情を話し、助けを求めました。警察官はふたりに同情してくれ、彼女たちの故郷の村に車で送っていってくれることになりました。 しかし警察官が車でむかった先は元の売春宿だったのです。警察は力になってくれず、暴行を受ける日々が続くのでした。(和田博幸・著「カンボジア、地の民」より引用)
このように現地では、規制さえも子どもたちを守っていません。この問題の原因は何より貧困にあるのです。貧困が故の性産業、そこから子どもたちを救い出すためには、心のケアはもちろんのこと、貧困から立ち直る方法が必要だとかものはしでは考えています。
http://web.archive.org/web/20060117090255/www.kamonohashi-project.net/know/mission.html
カンボジアの農村に、一人の少女がいました。父親は早くになくなり、一家はとても貧しい状態でした。 ある日村に「プノンペンでメイドの働き手を捜している」という男が現れました。母親に頼まれた彼女は、男についてプノンペンの町に行くことにしました。 16歳のときでした。彼女の母親は、男から50ドルを受け取りました。 プノンペンについた彼女は、自分が騙された事に気づきました。彼女は50ドルで売春宿に売られてしまったのです。部屋には窓もなく、外から鍵をかけて閉じ込められました。泣いて抵抗すると、見張りの男に殴られるのでした。 ある日彼女はたまらなくなり、夜の闇にまぎれて売られた友達と一緒に部屋を逃げ出しました。 まだ朝日も昇る前、薄暗い道をあてもなく、ひたすらに少女たちは走り続けました。 そして警察に辿りついた彼女は事情を話し、助けを求めました。警察官はふたりに同情してくれ、彼女たちの故郷の村に車で送っていってくれることになりました。 しかし警察官が車でむかった先は元の売春宿だったのです。警察は力になってくれず、暴行を受ける日々が続くのでした。(和田博幸・著「カンボジア、地の民」より引用)
このように現地では、規制さえも子どもたちを守っていません。この問題の原因は何より貧困にあるのです。貧困が故の性産業、そこから子どもたちを救い出すためには、心のケアはもちろんのこと、貧困から立ち直る方法が必要だとかものはしでは考えています。
http://web.archive.org/web/20060117090255/www.kamonohashi-project.net/know/mission.html
「かものはしプロジェクト」のサイトにかつて掲載されていたこの文章、原文にあたったブログ「右往左往」を読むと引用ではないようだ。
原文はこうだ。
リンさんの一家は九三年に、タイの難民キャンプから母の故郷に帰還した。父は、リンさんが物心ついた時にはいなかった。村には農地はなく、母は日雇いの仕事で四人の子どもを育てた。そんなある日、彼女の暮らす村に見知らぬ女性が来て、プノンペンで皿洗いをする人を捜しているという。母から「家を助けるために行ってくれないか」と頼まれ、行くことを決めた。九九年七月、リンさんが一六歳の時だった。
村からは、二五歳と一七歳の三人で行くことになった。二人ともよく知った仲で、心配ないと思った。ブローカーに騙されたという人の噂は、聞いたことはあった。しかし家族を助けるため、決心は固まっていた。
プノンペンにつくと、三人は一つの部屋に入れられた。一五平方メートルほどの部屋で、窓はなく小さな赤い電球が一つ灯っていた。三人は、そこにそのまま監禁されてしまう。その後の一週間は、食事もトイレも水浴びもその部屋でした。鍵がかけられ、出ることができない。騙されたことを知り、涙が止まらなかった。すると鉄の鎖を持った男が入ってきて、「そんなに泣いていると、殺して水草の下に沈めてやる」と脅かされた。
一週間たって別の部屋に移され、強姦された。初めての客はクメール人で、彼女が抵抗すると、「金を払っているんだ」と女経営者に言いつけた。すると男が入ってきて殴られた。殴られ倒れると、客はその上に覆いかぶさってきた。その後、一日に三、四人から強姦された。コンドームは客が使いたくないといえば、使えなかった。
「私たちが監禁されていることは、他の店の売春婦たちもわかっていたと思います。でも誰も助けてはくれません。みんな暴力が怖いのです」
一カ月ほど過ぎて、逃げだすことに成功した。朝四時、床下の板をはずし、三人はドブ沼を潜って逃げた。運良く途中でバイクタクシーをつかまえ、そのまま村まで帰ろうと思った。トンレサップ河にかかる日本橋を渡った所で、警官による検問があった。泥だらけの彼女たちを不審に思った警官が、理由をたずねてきた。三人の説明に、「私たちが車で村まで送ってあげましょう」と、警官は親切にも申し出てくれた。彼女たちはバイクを帰して、「ああこれでやっと村に帰れる」と安心して座りこんだ。
車が村とは逆方向に動き出した時、はじめて騙された事に気付いた。車は彼女たちを乗せ、トゥールコックの売春街に戻っていく。そこでは陰惨な暴行が彼女たちを待っていた。
「また捕まって殴られると思うと怖くて、逃げるなんて考えられなくなりました」
九月になって警察が売春宿の強制捜査に踏みこんだ時、監禁されていた九人が救出され、そのなかにリンさんもいた。
「売春宿の経営者は、警察が踏み込んだ時には逃げてしまったと聞きます。トゥールコックにはまだ多くの人が監禁され、売春を強要されていると思います」
彼女はその後、まだ母と会っていない。母と会ったら起こった事を隠さずに話すつもりでいる。しかしその時、母は自分に何と言うだろうか。そのことが心配でならない。
http://www.asiawave.co.jp/0203CAMBODIAWADA1.htm
村からは、二五歳と一七歳の三人で行くことになった。二人ともよく知った仲で、心配ないと思った。ブローカーに騙されたという人の噂は、聞いたことはあった。しかし家族を助けるため、決心は固まっていた。
プノンペンにつくと、三人は一つの部屋に入れられた。一五平方メートルほどの部屋で、窓はなく小さな赤い電球が一つ灯っていた。三人は、そこにそのまま監禁されてしまう。その後の一週間は、食事もトイレも水浴びもその部屋でした。鍵がかけられ、出ることができない。騙されたことを知り、涙が止まらなかった。すると鉄の鎖を持った男が入ってきて、「そんなに泣いていると、殺して水草の下に沈めてやる」と脅かされた。
一週間たって別の部屋に移され、強姦された。初めての客はクメール人で、彼女が抵抗すると、「金を払っているんだ」と女経営者に言いつけた。すると男が入ってきて殴られた。殴られ倒れると、客はその上に覆いかぶさってきた。その後、一日に三、四人から強姦された。コンドームは客が使いたくないといえば、使えなかった。
「私たちが監禁されていることは、他の店の売春婦たちもわかっていたと思います。でも誰も助けてはくれません。みんな暴力が怖いのです」
一カ月ほど過ぎて、逃げだすことに成功した。朝四時、床下の板をはずし、三人はドブ沼を潜って逃げた。運良く途中でバイクタクシーをつかまえ、そのまま村まで帰ろうと思った。トンレサップ河にかかる日本橋を渡った所で、警官による検問があった。泥だらけの彼女たちを不審に思った警官が、理由をたずねてきた。三人の説明に、「私たちが車で村まで送ってあげましょう」と、警官は親切にも申し出てくれた。彼女たちはバイクを帰して、「ああこれでやっと村に帰れる」と安心して座りこんだ。
車が村とは逆方向に動き出した時、はじめて騙された事に気付いた。車は彼女たちを乗せ、トゥールコックの売春街に戻っていく。そこでは陰惨な暴行が彼女たちを待っていた。
「また捕まって殴られると思うと怖くて、逃げるなんて考えられなくなりました」
九月になって警察が売春宿の強制捜査に踏みこんだ時、監禁されていた九人が救出され、そのなかにリンさんもいた。
「売春宿の経営者は、警察が踏み込んだ時には逃げてしまったと聞きます。トゥールコックにはまだ多くの人が監禁され、売春を強要されていると思います」
彼女はその後、まだ母と会っていない。母と会ったら起こった事を隠さずに話すつもりでいる。しかしその時、母は自分に何と言うだろうか。そのことが心配でならない。
http://www.asiawave.co.jp/0203CAMBODIAWADA1.htm
「皿洗い」は「メイド」に書き換えられ、逃げ出したのは3人から2人に減っている。
最終的に警察の強制捜査によって救出されたことは削られている。
これは引用ではない。改竄である。
「かものはしプロジェクト」は、村に現れたのを「男」としている。これには何の根拠もない。
実際の人身売買では、女性、それもときには親戚の女性が誘い出す役割を担うケースも多いことに注目すべきなのだが。
「ブローカーに騙されたという人の噂は、聞いたことはあった」というくだりも、無視してはいけない部分である。
「かものはしプロジェクト」による付け焼刃の「ワークショップ」など、それだけでは実際の抑止力としてはきわめて弱い力しか持たないのだ。
原文には99年のトゥールコックでのできごとであるとはっきり示されている。
それを伏せて、2006年にこのような描写を「現状」のように掲げたことは、きわめて誠実さを欠いた姿勢である。
by grilled_duckmole
| 2008-08-15 11:56