「すべての子供たちが」?
「ぼくのなまえは、モジ男~」
「ぼ、ぼくのなまえは、モジ三~」
「モジモジく~ん!」
「最初は『H』!」
「エッチ~?」
「HENTAI、の『H』!」
by 脳内メーカー
「児童買春問題」は「根本」にはない。
ちょうど、「問題意識」を外してのインタビューがあった。
「村田早耶香のまなざしに写る ~ カンボジアの子どもたちのまなざし」(MANAZASHI映像祭)
http://island.opinet.jp/manazashi/movie11.html
「ゴミ山で暮らし、ペットボトルを拾い、妹がふたり」?
何をへらへら笑いながらいいかげんなはなしをしているのだろう。薄気味が悪い。
父親の仕事を「ごみ拾い」としたのは、当時の駐在員の配慮かもしれない。
両親とも生存しているのにN君の保護が選ばれたのは、父親が〈どうやって金銭を得ていたか〉と母親の精神状態が関係している。
後半、「カンボジアのこども」だからではなく「出会ってしまっ」たから「助けたい」というはなしになる。
「すべての子ども」というのもまた、本心かどうかが怪しくなってくる。
「瞳の輝き」への異常なこだわり。
村田理事長が見てきたのは「未来への希望」を失ったこどもたちではなく、すでに保護され「希望を持って」生きはじめた者たちであり、「向上心」という基準で選ばれた「ファクトリー」の「ワーカー」である。
「すべての子ども」といいながら、本当に悲惨な現場には踏み込もうとはしない。
要するに、東南アジアのその世代のこどもが好きで、自分に帰属させたいのだろう。
村田理事長がはじめてカンボジアに滞在した2003年春。
行き先はなぜ「孤児院」だったのか。そこでの3日の滞在予定を、なぜ1週間延ばしたのか?
「児童買春問題」の調査なんて本気でやるつもりはなかった、ということだ。
カンボジアに関わる理由はもっと別のところにあり、それは実に〈生理的〉な衝動だ。
[追記]
村田理事長が「こどもを愛している」というときのキモチワルサは、どこか畑正憲に通じるものがある。残酷さと隣り合わせになっているのだ。
「この子は特に」などと平気でいうが、当初の予定通り「孤児院」の運営にあたっていたとしたら、すべてのこどもに平等に接することができたのだろうかと不安になる。
「ぼ、ぼくのなまえは、モジ三~」
「モジモジく~ん!」
「最初は『H』!」
「エッチ~?」
「HENTAI、の『H』!」
by 脳内メーカー
そうですね。ただ、私の根本にある目標は、「未来を選べない子供たちが未来に希望を持って生きられるようにする」ということですので、児童買春にテーマを限定するのではなく、児童労働に関する別のテーマに取り組む可能性もあります。結果的に児童買春問題とも繋がってくるかと思いますが。
http://www.a-human.net/career/71884i0000000h13.html
http://www.a-human.net/career/71884i0000000h13.html
「児童買春問題」は「根本」にはない。
これまで、「貧困」「問題意識」にフォーカスしがちな表現から、村田早耶香さんのまなざしに写る「カンボジアの子どもたちの希望と心」に軸をおきました。
http://island.opinet.jp/manazashi/movie11.html
http://island.opinet.jp/manazashi/movie11.html
ちょうど、「問題意識」を外してのインタビューがあった。
「村田早耶香のまなざしに写る ~ カンボジアの子どもたちのまなざし」(MANAZASHI映像祭)
http://island.opinet.jp/manazashi/movie11.html
「ゴミ山で暮らし、ペットボトルを拾い、妹がふたり」?
何をへらへら笑いながらいいかげんなはなしをしているのだろう。薄気味が悪い。
お父さんととお母さんと1人の弟、3人の妹。
お父さんはごみ拾いをして暮らしている。
****は5時半におきる。ぼろきれをまとい
夜明けからひどいほこりのなか休みなしに歩き続ける。
(略)
ごみの山から見つけた古い帽子を頭にかぶって歩き続ける。
(略)
ごみを探しながら歩いていると、
何かを食べている人たちがめにつく。
それを見て、あまりにもおなかが空き、よだれが落ちた。
ものを食べていることがなんの罪になろう。
しかし、その情景は彼に苦しみを与える。
(略)
暑い暑いカンボジアで、
彼はアルミや空き缶といった様々なものを
拾い袋に入れ続けた。
http://www.kamonohashi-project.net/news/cambodia/
お父さんはごみ拾いをして暮らしている。
****は5時半におきる。ぼろきれをまとい
夜明けからひどいほこりのなか休みなしに歩き続ける。
(略)
ごみの山から見つけた古い帽子を頭にかぶって歩き続ける。
(略)
ごみを探しながら歩いていると、
何かを食べている人たちがめにつく。
それを見て、あまりにもおなかが空き、よだれが落ちた。
ものを食べていることがなんの罪になろう。
しかし、その情景は彼に苦しみを与える。
(略)
暑い暑いカンボジアで、
彼はアルミや空き缶といった様々なものを
拾い袋に入れ続けた。
http://www.kamonohashi-project.net/news/cambodia/
父親の仕事を「ごみ拾い」としたのは、当時の駐在員の配慮かもしれない。
両親とも生存しているのにN君の保護が選ばれたのは、父親が〈どうやって金銭を得ていたか〉と母親の精神状態が関係している。
後半、「カンボジアのこども」だからではなく「出会ってしまっ」たから「助けたい」というはなしになる。
強制的かつ商業的な性的搾取を防止する活動を、
持続的・発展的に行い、すべての子供たちが未来への希望を
持って生きられる社会の実現をめざしている。
http://www.bookclubkai.jp/interview/contents/top.html
持続的・発展的に行い、すべての子供たちが未来への希望を
持って生きられる社会の実現をめざしている。
http://www.bookclubkai.jp/interview/contents/top.html
「すべての子ども」というのもまた、本心かどうかが怪しくなってくる。
「瞳の輝き」への異常なこだわり。
村田理事長が見てきたのは「未来への希望」を失ったこどもたちではなく、すでに保護され「希望を持って」生きはじめた者たちであり、「向上心」という基準で選ばれた「ファクトリー」の「ワーカー」である。
「すべての子ども」といいながら、本当に悲惨な現場には踏み込もうとはしない。
でも来てみて、私は、カンボジアの子ども達が好きで、カンボジア人が好きで、
風景が好きで、カンボジアを愛してしまっていました。
http://web.archive.org/web/20040401101120/www.kamonohashi-project.net/kamonohashi/diary003.html
風景が好きで、カンボジアを愛してしまっていました。
http://web.archive.org/web/20040401101120/www.kamonohashi-project.net/kamonohashi/diary003.html
要するに、東南アジアのその世代のこどもが好きで、自分に帰属させたいのだろう。
村田理事長がはじめてカンボジアに滞在した2003年春。
行き先はなぜ「孤児院」だったのか。そこでの3日の滞在予定を、なぜ1週間延ばしたのか?
「児童買春問題」の調査なんて本気でやるつもりはなかった、ということだ。
カンボジアに関わる理由はもっと別のところにあり、それは実に〈生理的〉な衝動だ。
[追記]
村田理事長が「こどもを愛している」というときのキモチワルサは、どこか畑正憲に通じるものがある。残酷さと隣り合わせになっているのだ。
「この子は特に」などと平気でいうが、当初の予定通り「孤児院」の運営にあたっていたとしたら、すべてのこどもに平等に接することができたのだろうかと不安になる。
by grilled_duckmole
| 2009-02-08 18:03