死ぬまでウソを吐き通すつもりかい? 村田早耶香さん (22)
>>665
>>38 のリンク先を丹念に読んだら、麦茶吹いて
イスからずり落ちたぜ。偽善者乙ですな。
正直、すまんかった。
丹念に読む必要はないが、膨大に読まなければならない。
「2ちゃんねる」のスレッドから来たひとのために、「産経新聞」社会部・中曽根聖子記者によるインタビュー記事に潜んでいるおかしな点だけ軽くまとめてみる。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090519/trd0905190823003-n1.htm
「一昨年」開いたのは〈いぐさをござ状のマットに織る工場〉。そこで生産された〈マット〉は、当時提携していた現地NGOの工場で「民芸品」に加工されていた。
この「民芸品」加工工場のほうを「かものはしプロジェクト」があたかも自分たちの事業であるかのように扱い始めたことで、現地NGOとの関係が悪化し、旧工場は閉鎖。
現在の「工房」は半年以上の活動休止をはさんで昨年8月に完成した別のもの。
アンコールワットのあるシェムリアプとの距離は旧工場の半分。旧工場は「近郊」と呼ぶには遠い。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090519/trd0905190823003-n2.htm
「ドラッグ漬け」については初めて書く。実はこれもおかしい。
「ドラッグ」というのはきわめて高価なものだ。「漬け」にするほど与えれば〈商売〉として成り立たない。経口避妊薬や抗生物質、向精神剤などの投与を受けていた、という調査はどこかで読んだことがある。
なお、ストリートチルドレンの少年が売春に手を染める理由の1つに、薬物の購入費用がある。
「大学2年の夏」にいったのはタイだけ。初カンボジアは2003年4~5月にかけて。「施設」はもっとあと。
「生々しい傷跡」のはなしはつぎの動画に出てくる。
「半年経っていたので、もう傷はなかったんですけど」と語っているように、これもウソ。
「生気のない顔」なんて初めて聞いた。
つねに、〈楽しく遊んだ思い出との落差〉を利用して語られてきた。
ああ、それから「幼い姉妹」はベトナムから来たベトナム人。
カンボジアの農村の貧困、とは無関係。
2001年12月の「国際会議」はカンボジアに行く1年半くらい前のこと。当然、カンボジアからの「帰国後」ではない。
「親に仕事があれば子供は売られずにすむし、教育を受けられる」はずなのに、「学校に行けるようになった」とされるのはこのふたりだけ。
出稼ぎ経験のある女性を雇用しているが、「都会の出稼ぎから戻ってこられた」というのも初耳。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090519/trd0905190823003-n3.htm
仮タイトル『電気ショックの傷跡が残る少女たち』から変更。
傷跡なんて残ってなかったんだから、さすがに変えざるをえないだろう。
(略)
ちなみに村田さやかはスゴイ女だ。問題意識はナイーブだが、人間に嘘がない。
ETICに参加した段階で、もうこの事業に命を張っていた。おまいらも実際に一度会ってみると良いよ。
「ETICに参加した段階で」最初にカンボジアに行ったのを「19歳」とウソを吐くようになっている。
この動画が収録されたのは、初めてのカンボジアからの帰国直後。
「カンボジアに骨を埋める」といわれれば「命を張っていた」と思うかもしれないが、ではいま、なぜコンピューターに守られた渋谷の事務所なんかにいるんだろう?