死ぬまでウソを吐き通すつもりかい? 村田早耶香さん (40)
日本に帰国し、仲間と話しあい、今度は本木と青木がカンボジアに行き、調査をしてきました。
二〇〇〇年頃まで、確かにタイは子どもを買える場所として知られていました。観光業が盛んで外国人観光客が多く、国民の生活水準は低く、貧しい人たちは家族の生活を支えるためにセックス産業にも従事します。観光客による「需要」があり、貧しい人たちによる「供給」があったのです。しかし、経済的に発展したことや政府の取り組みもあって、二〇〇〇年以降、この傾向は下火になっていました。
一方、カンボジアの状況を調べると、タイと入れ替わるように二〇〇〇年以降に人身売買、児童買春の問題が取り上げられるようになってきました。
(pp.91-92)
二〇〇〇年頃まで、確かにタイは子どもを買える場所として知られていました。観光業が盛んで外国人観光客が多く、国民の生活水準は低く、貧しい人たちは家族の生活を支えるためにセックス産業にも従事します。観光客による「需要」があり、貧しい人たちによる「供給」があったのです。しかし、経済的に発展したことや政府の取り組みもあって、二〇〇〇年以降、この傾向は下火になっていました。
一方、カンボジアの状況を調べると、タイと入れ替わるように二〇〇〇年以降に人身売買、児童買春の問題が取り上げられるようになってきました。
(pp.91-92)
村田早耶香 理事長は、1995年の「買売春禁止法」改正や1997年の「バーツ危機」などはすっかり忘れてしまったようだ。
"UNTAC"駐留に伴うカンボジアの売春産業の発展も。
もとから理解できていないのかもしれないが。
「かものはしプロジェクト」が当時、どのような分析をしていただろうか?
赤は「かものはしプロジェクト」によるタイ国内での児童買春被害者数の推移、青は同カンボジア。
桃は、タイとカンボジアの人口比を4:1としたとき、単位人口あたりの比較をするために赤で示されるグラフを補正したもの。
緑はカンボジア政府の「5か年計画」にある被害者数の分析を、同一グラフにプロットしてみたもの。
2000年にはベトナム戦争以前の水準にまで落ちている。
確かに2000年あたりで〈絶対数〉は交差しているが、カンボジアが単調増加の一途、という分析が間違っている。
「タイと入れ替わるように」などというのは、何も知らないだけだ。
90年代に「"UNTAC"の置き土産」とする児童買春に関する報道はすでにあった。
95年、タイの規制が強化され、ジュライホテルの閉鎖ともあいまって、買春者はカンボジアへと移動を始める。
2000年はすでに、バックパッカーが〈機会的〉に児童買春に手を染める時代の終わりで、インターネット上の情報で〈目的を持った〉旅行者が一時的に増えたあたりだろう。
その少しあとに、日本人が逮捕された、という事件が「取り上げられるようになって」くる。
「こんな時代にカンボジアに行った自分はすごい」といいたいがために、過去に自分たちが行なった調査結果までねじ曲げる。
そういう女だ。
by grilled_duckmole
| 2009-06-18 23:56