「カンボジアの児童買春も同様の状況にあります」?
「かものはしプロジェクト」にとって「現実」「現状」など、どうでもいいのだろう。
2002年に初版が発行された原作は、実際に起こった事件に着想を得たフィクションである。
「舞台は10年前」ではないだろう。
タイ北部の村から少女が売られてくる話は、1995年に改正売買春禁止法が施行される以前のエピソードだと思われる。
10年前には外国人が少女めあての「観光売春」のためにやってくる、という時代では、すでにない。
日本人ペドフィリアがカンボジアに移動を始めたのも1995年前後である。
いくつかのサイトで映画のプロットを当たってみると、かなり脚色が加えられているようだ。
日本人がタイに〈心臓移植〉を受けにいく話。そのドナーが人身売買の被害者で、生きたまま臓器をえぐり出されるという。
2000年の段階で、タイでの心臓移植の実施例は200例以下。
施術可能な施設は6か所のみ。
これでは簡単に「金で臓器を買おうとした日本人」が特定できるだろう。
おそらく実際は〈腎臓移植〉がせいぜいだろう。
これなら〈もぐり〉の施設でも移植できるし、実際にドナーから死者も出ている。
こちらは、タイの新聞で話題になったのが99年ころだ。
森高千里のダンナが演じる新聞記者。これも少々おかしい。
1998年から2001年に日本の報道機関のバンコク支局にいた駐在員をそれなりに知っているのだが、このようなヤバいネタを見つけだして取材したりはしない。
そもそも、彼らはほとんどタイ語を話せないし(ひとりだけ、現地採用扱いを選んでタイ人と結婚した人物はいた)、何か起こったときの補償を嫌って会社は取材に許可を出さない。
実際に動くのはフリーランスのジャーナリストであり、ネタを持ち込むのも彼らである。
新聞社からの取材費なんて微々たるもの。新聞で伏線を張り週刊誌で展開、というのが定石。
現地英字紙"Nation"によれば、という後追い記事を書き、ハクをつけて次の赴任地に向かうのが駐在記者の基本的な仕事である。
映画『闇の子供たち』の完成試写会は3月21日に開催された。
その後、何度か試写が行われているが、当初の予定より遅れて8月2日に公開されるこの映画を、「かものはしプロジェクト」のスタッフは鑑賞していないようだ。
見てもいない映画を「同様の状況」として紹介していいわけがない。
「年次報告書」には、
とある。
どちらが「現状」なのか?
13歳、14歳の「女の子」がいても、すごすごと帰ってくるというのだろうか?
売られている現場は、日本にいてもわかる。
たとえば、プサー・トマイにほど近い、日本の有名な電機メーカーの名前を冠したゲストハウスだ。
だが、そこにいるのはベトナムの少女である。
唐突に「人身売買」にも取り組むことにした「かものはしプロジェクト」は、なぜこの点を隠すのだろう?
これも「報告書」から。
これは「児童買春」の問題とは、ほとんど関係がない。
まれに年齢を偽った17歳がいたとしても、それはタイと同じ水準になったということだ。
また、「人身売買」とも直結しない。
店主は〈自由恋愛〉を装うし、逃げたければ逃げられる状態にある。
『闇の子供たち』の原作に対する批判に、〈貧困〉にばかり焦点をあわせすぎている、というものがある。
タイの売買春に関する学術論文に当たればすぐわかるが、〈絶対的な貧困〉〈食えないがための人身売買〉ではなく、〈ぜいたくのため〉という要素が指摘されている。
いわゆる、電気のない村で冷蔵庫がほしくて娘を売る、という奴だが、これは笑い話ではないのだという。
あるいは、チュラロンコン大の学生すら援助交際をしている、という話題があった。
東大にしろ「ハーヴァード大」にしろ、総じて学生の親の年収は高いのだが、そこに紛れ込んだ〈並〉以下の家庭の子女が、おなじ水準で遊ぶために、だという。
カンボジアもそうなっていくのかもしれない。
だいたいね。
「市場の野菜と同じ感覚」というけれど、カンボジアの貧困というのは、わずかなヨード分の土壌で育った野菜から摂取するだけでもいくばくかは改善される甲状腺障害すら多発する、あるいは、その野菜を買うために市場にいく公共交通機関もなければモトドップに払う金もない、そういったものだ。
[追記]
映画『闇の子供たち』はタイの映画祭での上映が中止になったそうだ。
「無断撮影」の問題も指摘されているようだが、コーディネーターを調べてみると会ったことのある人物だった。
旅行代理店を経営していたこともある彼は、「リファンドしておいてあげる」と知り合いからビジネスクラスの航空券を預かり、やがて姿を見せなくなったという。作詞家・伊吹とおるの息子である。
■あらすじ
舞台は10年前、タイの北部山岳地帯。
ここでは貧困のため、子どもたちが市場の野菜と同じ感覚で次々と売られていきます。
子どもたちの向かう先は、売春宿。
ここでは幼い子どもたちが、ひどい虐待や暴力を受けながら、
欧米や日本からやってくる児童性愛者たちの相手をさせられています。
劣悪な環境の中、ひとたび病気になればゴミ同然に捨てられてしまうのです。
まさに、地獄。彼らには絶望しかありません。
こうした現実を知り、タイ在住の新聞記者 南部(江口洋介)は、
NGOの女性職員 音羽(宮崎あおい)、フリーカメラマンの与田(妻夫木聡)の協力を得て、
取材を開始します。
しかし、闇に迫れば迫るほど、どうにもできない現実が眼前に立ちはだかる…
相当重い内容ですが、人身売買の現状を知っていただくために
非常に役立つ映画だと思います。
かものはしが取り組んでいる、カンボジアの児童買春も同様の状況にあります。
http://www.kamonohashi-project.net/news/japan/20080717_439.php
舞台は10年前、タイの北部山岳地帯。
ここでは貧困のため、子どもたちが市場の野菜と同じ感覚で次々と売られていきます。
子どもたちの向かう先は、売春宿。
ここでは幼い子どもたちが、ひどい虐待や暴力を受けながら、
欧米や日本からやってくる児童性愛者たちの相手をさせられています。
劣悪な環境の中、ひとたび病気になればゴミ同然に捨てられてしまうのです。
まさに、地獄。彼らには絶望しかありません。
こうした現実を知り、タイ在住の新聞記者 南部(江口洋介)は、
NGOの女性職員 音羽(宮崎あおい)、フリーカメラマンの与田(妻夫木聡)の協力を得て、
取材を開始します。
しかし、闇に迫れば迫るほど、どうにもできない現実が眼前に立ちはだかる…
相当重い内容ですが、人身売買の現状を知っていただくために
非常に役立つ映画だと思います。
かものはしが取り組んでいる、カンボジアの児童買春も同様の状況にあります。
http://www.kamonohashi-project.net/news/japan/20080717_439.php
2002年に初版が発行された原作は、実際に起こった事件に着想を得たフィクションである。
「舞台は10年前」ではないだろう。
タイ北部の村から少女が売られてくる話は、1995年に改正売買春禁止法が施行される以前のエピソードだと思われる。
10年前には外国人が少女めあての「観光売春」のためにやってくる、という時代では、すでにない。
日本人ペドフィリアがカンボジアに移動を始めたのも1995年前後である。
いくつかのサイトで映画のプロットを当たってみると、かなり脚色が加えられているようだ。
日本人がタイに〈心臓移植〉を受けにいく話。そのドナーが人身売買の被害者で、生きたまま臓器をえぐり出されるという。
2000年の段階で、タイでの心臓移植の実施例は200例以下。
施術可能な施設は6か所のみ。
これでは簡単に「金で臓器を買おうとした日本人」が特定できるだろう。
おそらく実際は〈腎臓移植〉がせいぜいだろう。
これなら〈もぐり〉の施設でも移植できるし、実際にドナーから死者も出ている。
こちらは、タイの新聞で話題になったのが99年ころだ。
森高千里のダンナが演じる新聞記者。これも少々おかしい。
1998年から2001年に日本の報道機関のバンコク支局にいた駐在員をそれなりに知っているのだが、このようなヤバいネタを見つけだして取材したりはしない。
そもそも、彼らはほとんどタイ語を話せないし(ひとりだけ、現地採用扱いを選んでタイ人と結婚した人物はいた)、何か起こったときの補償を嫌って会社は取材に許可を出さない。
実際に動くのはフリーランスのジャーナリストであり、ネタを持ち込むのも彼らである。
新聞社からの取材費なんて微々たるもの。新聞で伏線を張り週刊誌で展開、というのが定石。
現地英字紙"Nation"によれば、という後追い記事を書き、ハクをつけて次の赴任地に向かうのが駐在記者の基本的な仕事である。
映画『闇の子供たち』の完成試写会は3月21日に開催された。
その後、何度か試写が行われているが、当初の予定より遅れて8月2日に公開されるこの映画を、「かものはしプロジェクト」のスタッフは鑑賞していないようだ。
見てもいない映画を「同様の状況」として紹介していいわけがない。
「年次報告書」には、
7-12歳の女の子が30-100ドルで売られているのを実際に確認。ただし、この年齢に対する取締りは強化されており少数になってきた。
とある。
どちらが「現状」なのか?
13歳、14歳の「女の子」がいても、すごすごと帰ってくるというのだろうか?
売られている現場は、日本にいてもわかる。
たとえば、プサー・トマイにほど近い、日本の有名な電機メーカーの名前を冠したゲストハウスだ。
だが、そこにいるのはベトナムの少女である。
唐突に「人身売買」にも取り組むことにした「かものはしプロジェクト」は、なぜこの点を隠すのだろう?
これも「報告書」から。
いわゆる"売春宿"ではなく、カラオケやレストラン、バーなどでの売春斡旋が増えており、問題が見えづらくなっている。
これは「児童買春」の問題とは、ほとんど関係がない。
まれに年齢を偽った17歳がいたとしても、それはタイと同じ水準になったということだ。
また、「人身売買」とも直結しない。
店主は〈自由恋愛〉を装うし、逃げたければ逃げられる状態にある。
『闇の子供たち』の原作に対する批判に、〈貧困〉にばかり焦点をあわせすぎている、というものがある。
タイの売買春に関する学術論文に当たればすぐわかるが、〈絶対的な貧困〉〈食えないがための人身売買〉ではなく、〈ぜいたくのため〉という要素が指摘されている。
いわゆる、電気のない村で冷蔵庫がほしくて娘を売る、という奴だが、これは笑い話ではないのだという。
あるいは、チュラロンコン大の学生すら援助交際をしている、という話題があった。
東大にしろ「ハーヴァード大」にしろ、総じて学生の親の年収は高いのだが、そこに紛れ込んだ〈並〉以下の家庭の子女が、おなじ水準で遊ぶために、だという。
カンボジアもそうなっていくのかもしれない。
だいたいね。
「市場の野菜と同じ感覚」というけれど、カンボジアの貧困というのは、わずかなヨード分の土壌で育った野菜から摂取するだけでもいくばくかは改善される甲状腺障害すら多発する、あるいは、その野菜を買うために市場にいく公共交通機関もなければモトドップに払う金もない、そういったものだ。
[追記]
映画『闇の子供たち』はタイの映画祭での上映が中止になったそうだ。
「無断撮影」の問題も指摘されているようだが、コーディネーターを調べてみると会ったことのある人物だった。
旅行代理店を経営していたこともある彼は、「リファンドしておいてあげる」と知り合いからビジネスクラスの航空券を預かり、やがて姿を見せなくなったという。作詞家・伊吹とおるの息子である。
by grilled_duckmole
| 2008-07-17 21:02